ビートルズを呼んだ男【感想・あらすじ】伝説のプロモーター永島 達司の生涯

ビートルズをはじめ、数多くの海外大物ミュージシャンの来日を次々と成功させた男、永島達司の生涯に迫った傑作、ノンフィクションです。

当時のプロモーター(呼び屋)の事情や1950~70年代の日本の芸能界について、そしてビートルズが来日した時の異常な熱狂ついて書かれており大変興味深い内容でした(^^)

※後半ネタバレを含みます。

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あらすじ(内容紹介)

ビートルズを日本に呼んだ伝説の男とは

 「彼みたいな男が本当の日本人だ」とポール・マッカートニーが評価した伝説のプロモーター、永島達司。1966年に武道館で熱狂のコンサートを行ったビートルズを日本に呼んだ男が彼だった。米軍回りのバンドのマネージメントから始め、ナット・キングコール、ルイ・アームストロング、ボブディラン、カーペンターズ、イーグルス、マドンナ、マイケル・ジャクソンまで。世界の最高峰のミュージシャンの来日を成功させた男の人生を追って、ノンフィクション作家野地秩嘉が国内外を徹底取材。ポール・マッカートニーの独占取材も収録。ビートルズ来日50周年記念刊行の傑作ノンフィクション。

(Amazonより引用)

 ビジネスとは信用である

そんなことを改めて感じさせる内容でした。

 プロモーター業はかつては呼び屋と呼ばれ、社会的信用も低めで不安定な職業でした。

しかし、成功した時の見返りも大きく、莫大な利益とスーパースターの横に立ち、スポットライトを浴びることができる・・・。。

呼び屋とは度胸があり且つ愛嬌もあり目立ちたがりで、一攫千金を夢見てハッタリで世間を渡り歩くくらいのガッツのある男が向いている仕事。

本書でスポットを当てている永島達司さんの対比する形で登場する二人の呼び屋、樋口玖さん」(リンボーダンスの仕掛け人)や康芳夫さん(アントニオ猪木対モハメド・アリの興行を手掛ける)はこのような典型的な呼び屋として紹介されてます。

しかし、永島さんは控え目な性格。ギャラも決して値切らず約束も破らない人格者として紹介されてます。

本書を読む限りでは永島さんは海外の大物ミュージシャンを呼ぶこと自体に全然、苦労した感じは無く、むしろ自然に話が舞い込んでる感じです。

まさにビッグビジネスは信用が第一ということですね。交渉時には調子の良いこと言って、いざ決まると途端に手のひらを反すようなプロモーターも多かった中、永島さんのような人格者は稀有な存在だったようです。

しかし、永島さんも大物ミュージシャンの来日が決定してからは大変だったようで(^^;)

大物ミュージシャンを呼んだって必ずしも成功するとは限らない世界。そしてビートルズなど日本中が熱狂する事態に陥るようなケースは様々なトラブルが想定され、危機管理も徹底しなければいけません。

本書はそんな苦労話も赤裸々に紹介されています。

タイトル通りビートルズに特化した内容ではありませんが、戦後1950年代以後の日本の芸能事情、ビートルズが来日した際の日本の熱狂ぶりやその対策追われた人の苦労話、ビートルズの日本での秘話などは大変、興味深い内容した(^^)

 

ネタばれ読書感想 

1950年代は日本でもジャズが流行っていた

1950年代はアメリカではモダン・ジャズの黄金時代です。日本ではどうだったのか・・・と思ってましたが、日本でもジャズは流行っていたようですね。

永島さんは1953年に結婚し、これを機にジャズコンサートの企画・運営を始めたと記載されてます。

「国際最大のジャズショー」と銘打たれた興行は2週間で12万人を動員するという当時において空前の動員記録を達成しました。

この頃、日本で活躍していたジャズミュージシャンは・・・。

ジョージ川口、松本英彦、中村八大、江利チエミ、ナンシー梅木、笈田敏夫。

このような面々だったようです。

私は勉強不足で松本英彦さん(TS)しか知りませんでした(^^;)

 当時のジャズの動画がYouTubeにあったので貼らせていただきます。

 テネシーワルツ by江利チエミ

 Let’s Say Good-bye by与田 輝雄とシックスレモンズ ナンシー梅木

ビートルズ来日で日本人の価値観が変わった!?

当時の日本人の価値観として大人になるというのがあったようです。

その頃の若者の目的とは早く大人になることであった。

政治経済はもちろんのこと、音楽、ファッションといった風俗についても、リーダーシップを握っていたのは大人たちであり、大人のように成熟していることが価値だった。

(本書より抜粋)

 抽象的ですが何となくわかるような・・・。

しかし、ここでいう当時の大人たちはロックという音楽を不良の音楽と決めつけ、一向に認めようとしなったそうです。

永島さんですらビートルズの音楽に興味はなく、騒々しい音楽という認識しかなかったそうです。

 ところがビートルズが来て、演奏した瞬間、未熟として扱われた若者たちはひとつのことに気づいた。

自分たちの耳に聴こえていた音を、大人たちは少しも聞こえなかったと主張したのである。

その時、若者たちは成熟してしまったら同時に失うものがある、と理解した。

(本書より抜粋)

 こうして日本に「まだ大人にならなくていい」と自覚した世代が誕生したとのこと。

40歳になっても若さという魅力を追いかけるようになったと・・・。

う~ん、今の40歳ならわかりますが、当時の若者というと現在はかなりの年配の方と思います(^^;)

バブルの時代にバリバリに働いて、若くして一軒家を買い、ローンのために働いた世代。そんな世代の方達は私から見たら十分、大人なイメージがありますが年代により見方は変わるものですね。

他にもビートルズ来日で日本が変わったことは

  • 日本においてコンサートへ出かけるという娯楽が一般化した
  • それまでは小さな会場メインだったが武道館や野球場という大きな会場を使用することになった

結果、音響装置や照明、演出技術が飛躍的に進歩し、レコードをプロモーションする場としてコンサートが認識されるようになったとのことです。

これは今までのエンターテイメントのシステムも根本から変えたことになり、ビートルズの来日が如何に日本に大きな影響を与えたのかを伺い知れます。

 

海外を相手にするからこそ日本人としての誇りを

海外で仕事をすることが多かった永島さんは常に自分を日本の代表であるという意識を持っていたそうです。

故に礼節を重んじ毅然とした態度を崩さなったとのことです。

 永島達司はニューヨークとロンドンで暮らしてきた頃から、日本を代表する気持ちを持って外国人と接してきた。時代と環境のせいでそうした堅苦しいやり方でしか海外と付き合えなかったかもしれないが、外国人にはそんな永島の姿が尊敬に値する日本人の典型だったのだ。

永島達司が一生かかってやってきたこととは、立派な日本人の姿を日本に示すことだった。

本文より抜粋

世界を向いてる人は日本を軽視しがちなイメージもありましたが、大きな勘違いでした(^^;)

真に世界と渡り合える人こそ日本の誇りを大切にしているのだなと感じました。

まとめ

永島達司は芸能界で国内、海外問わず多くの人から人格者として慕われている人物ですが、一部のプロモーターからは揶揄されることもあるそうです。

誠実で嘘をつかず、ギャラを値切ることをしない永島さんは真の呼び屋ではないと・・・。

プロモーターといえば、ひと昔前!?のボクシングのマイク・タイソンの興行を手掛けたドン・キング氏みたいな金の亡者というイメージがありますからね(^^;)

確かに永島さんは金儲けという観点ではあまり上手ではなく、華々しい実績とは裏腹に大きな財を築くこともなかったようです。

しかし多くのビッグプロジェクトを成功させ、会社も長年に亘り倒産させずに経営し、仕事に取り組む姿勢は多くの人の尊敬を集めたのですからやはり伝説のプロモーターだと思います。

本書は興行の仕事を通して当時の芸能事情を垣間見れ、また仕事に取り組む姿勢についても考えさせられる良書でした(^^)

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